自動運転車で車は共用になり失業者が大量発生する、わけがない

 

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なるほど、確かにそうなりそうに思える。

思える。

 

・・・だが。重大な見落としがある。

 

車というのは、移動できるパーソナルスペースなのだ。

車を個人が所有したがるのは、移動手段が欲しいからだけではない。

「可搬性のある自分の部屋」という、他に変わりのない存在を手に入れるためだ。

 

しかも、その傾向は都心において顕著ではないだろうか?

 

田舎においては土地は余りまくっているし、家は安い、広い。

さらに、いつも行くスーパーやコンビニまで「車で」10分だの15分だのザラである。

田舎での車は、都心での自転車のノリに近く、ただの乗り物という感覚で乗られている。

一家一台どころか、一人一台の世界。

 

一方、都心では。

田舎ではほとんど0円と思ってよかった駐車場代が、月に数万円もかかってくるというコストが頭をもたげてくる。

しかも、道幅が狭く込み入っていて、決して走るのに快適ではない都心の道路。

信号の間隔も狭く、ストレス解消にその辺をスイスイと流す、なんてことも出来ない。

そもそも電車もバスも安いし、数多く走っている。

 

など、車を持つのに積極的になれない要素がてんこ盛りなので、車なんぞ乗らない。

若者のクルマ離れ、なんて言われてもそれはしょうがないと思えてきてしまう。

 

だが、家族などが出来て、日常的に大量の人、荷物を、思いついた時に運びたい時が出てくると、都心といえどもやはり車が必要になってくる。

休日、家族でどこかに出かけようとして、公共交通機関なんぞ使っていたら、休めるものも休めなくなってくる。

子供が電車の中で泣き喚き、周りに迷惑をかけるストレス。

結果、大枚はたいて車を購入。

 

そこで気づくのだ。

 

「車とは、もう一つの『家』なんだ」

と。

 

 

家の中の雰囲気を保ったまま、家族で出かけられるというのは、想像以上に価値が有るものだ。

 

都心では大きい家は建てられない。

第2の部屋としての役割すら、車は持っている&これからさらに持ってくるだろう。

ミニバンが流行っているのは、車として以上に、部屋としての機能も求められているからに違いない。

 

さらに、車中泊ブームを経過して、車で寝泊まりという行為が、広く認知されてきた。

そこまで来ると、車はもう完全に「部屋」である。

人々の関心はいよいよ、車に本格的に「部屋」としての機能を要求してくるようになる。

 

もうお分かりだろう。

車が自動化されると、「車が部屋であって欲しい」ニーズとぴたりと合致するのだ。

トヨタは、スマートハウスやV2Hを通して、密かに、そういった未来のニーズへの盤石を打っている。

やはり抜け目がない。

 

 

結論。

自動化した車は、公共化した車にはならない。

 

不動産のような存在になる。

 

さしずめ「可動産」とでも呼ぶような、固定資産の一部になっていくだろう。

 

失業者が出たら、そこに生まれたビジネスに雇用されるんじゃないかしら?